山はクマであり、クマは森だ。血は川に流れ、生命が循環する。「人と生物と自然」の相関を問う絵画作家、永沢碧衣(あおい)さん(29)が描く作品は、山とクマ、そして人間の住む里がキャンバス上で溶け合い、独特な世界観を提示する。若手作家の登竜門とされる「VOCA展2023」で大賞を受賞した新進気鋭の作家は「絵筆と猟銃の二刀流」でも知られている。
◇毛皮から膠を自作「授かったものを活用」
秋田県横手市山内(旧山内村)生まれ。幼いころから父に連れられ奥羽山脈の奥地まで渓流釣りに行った。イワナやヤマメなどの山の魚にひかれ、水辺があれば、「魚がいるんじゃないかな」と、その箱庭的な生態系を観察するのが好きな子どもだったという。
横手市内の高校から秋田公立美術大学(秋田市)に進み、2016年度の卒業制作では海から川の上流に戻っていくサケやマスを1年がかりで取材した。川をさかのぼり、自分たちが生まれたふ化場よりも上流へと、体がボロボロになっても向かおうとする根源的な命の力に「人知の及ばないエネルギー」を感じた。魚に触れる仕事をしながら魚の絵を描こうと、横手市内の水産卸売市場に就職。でも1年だけで退職した。
きっかけとなったのは、卒業制作時のフィールドワークだった。訪れたのは「マタギの里」として知られる北秋田市阿仁地区。魚のことを知るための取材だったが、伝統的な狩猟を生業とする「マタギ文化」にも出会った。
春は山菜を採り、夏は釣りをし、秋はキノコ、冬は狩猟。山や自然と誠実に向き合う精神性にひかれ、市場に勤めながら、マタギ文化を知るためのフィールドワークに通った。
柔軟に時間の作れる東京・神田のギャラリーと飲食店が一体化した複合施設に転職した。週末は「マタギの里」に通う生活が2年続き、この間の18年に狩猟免許を取得した。地元の横手市にUターン後の20年に銃砲所持許可を取り、地元の猟友会に入った。
猟友会ではクマの有害駆除にも参加する。人や農作物への被害が出ないよう猟期外の夏場に農家などから依頼され、わなで仕留める。マタギの精神性に倣い、捕らえられたクマを「授かった」と表現する。
地元の横手市山内地区にかつて存在したマタギ文化はすでにすたれ、今はもう残っていない。だが、山の神はどこかにいると感じる。クマは他の動物と違い、この地の人たちに神格化されている。クマを解体するときに、伝統作法ではないかもしれないが、お清めをし、上流のきれいな水場に運ぶのは、畏怖(いふ)の感情があるからだ。
狩猟者として、絵画作家としての自分が授かったものを活用するにはどうしたらいいだろうと、考えた。キャンバスに絵を描くときに定着剤として顔料に混ぜる膠(にかわ)。通常は牛や豚の皮から作られるが、流通している膠を買って使うのではなく、自分で作ることにしている。
祖父の小屋を借りて、クマの毛皮から余分な脂をこそげ取る。毛を抜くために酒かすと米ぬか、水を練り合わせたものを塗り、2~3週間発酵させ、皮を煮出してコラーゲンを抽出する。獣臭さが服に染み付いてしまうほど大変な作業だ。でも、クマでクマを描く。それが授かった命への敬意につながると考えている。
マタギの里に、今も足しげく通う。師匠はマタギのシカリ(頭領)だ。通い始めたころは「危ないから」と、巣穴に近づくときに同行させてもらえなかったが、数年通い詰めるうちに受け入れてもらった。11月からの一般猟期には少人数で一緒に猟に出ることもある。
ただ、マタギの世界には伝統的な「女人禁制」の考え方がまだ息づいている。山の神は女性だから、女性が山に入ると嫉妬するのだという。師匠は「時代に合わせ、女性を受け入れても問題はない」という立場だが、猟の安全のために縁起を担ぐ人も多い。
マタギの里といえども、先生やお医者さんなど、兼業マタギがほとんどだ。おじいさんたちは「あんたは絵描きさんのマタギだ」と言う。「私はマタギ」と自分から名乗ることはないが、呼ばれる分にはいいのかなと思う。
目に見える動物の姿は、その地域にあった色や形になっていると感じる。山がクマのように見え、クマが山の一部に溶け込もうとして、お互いがお互いをまとう。そんな命の形を見つめ、人との関わりを作品に表したい。
2024年11月14日 毎日新聞・東京夕刊 掲載