
都市のすきまを見つけ出し、既存のシステムごと場を読み替えるような作品を発表してきたアーティスト・コレクティブのSIDE CORE(サイドコア)。公共空間や路上を舞台にしたアートプロジェクトで知られ、芸術祭にも数々参加してきたグループが、東京・青山のワタリウム美術館で初めての大がかりな個展に臨んだ。
エレベーターを2階で降りると、オレンジ色の照明に包まれる。トンネルのなか、びゅんびゅん飛ばす車、夜に光るネオンサインが、次々頭に浮かぶ。展示室に入ると、大きな壁が回転していた(「東京の通り」2024年)。備え付けの可動壁を利用したもので、コラージュした道路工事のサインがくまなく張られている。工事現場で使用済みの看板をもらってきたといい、少しずつ違う形の数字や文字、ピクトグラムがサンプリングされた音楽みたいにリズムを刻んでいる。
そばでは、甲高い音がこだまする。上階から続く鉄パイプのチューブをつたって、弧を描きながら陶製の球が落ちてくる音だ。隣ではさまざまな形の車のヘッドライトがまたたき、「東京の通り」を照らす。ある夜に再訪すると、美術館は外壁工事の真っ最中で、展示室と外の空間が一体になるようだった。

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サイドコアは12年に活動を開始。高須咲恵、松下徹、西広太志の各氏に映像ディレクターとして播本和宜さんが参加する。鮮烈な印象を残したのは、17年の「リボーンアート・フェスティバル」(宮城県)。石巻市のスケートボード場「ワンパーク」で発表した。津波被害を受けた保冷庫を改装してできた場所だったが、消防法上の観点から利用停止に。被災した場を自分たちの手で遊び場へと転換させたストリートのDIY精神を踏まえ、プロスケーターの森田貴宏さんらと共に、夜の工事現場を思わせる作品を展開した。
ストリートを制作の場にする人たちが美術館で展示するとき、路上とのあまりの距離感に居心地の悪さを感じることがある。今回なじんで見えたのは、美術館から見える屋外作品が内外をつなぐだけでなく、ワタリウムという場だからというのもあるだろう。
松下さんはワタリウムを「街と関係を作ってきた美術館で、かつ現代美術とストリートアートの文脈が混ざる場所。この空間でやるのは自然と外を向くことでもある」と話す。
街で制作するには、街をよく見て、街と遊ばなければならない。3階には、そんなふうに思わせる作品が並ぶ。「empty spring」(20年)は、緊急事態宣言下のたくらみが映像になったもの。人けのない渋谷の繁華街で、三角コーンがするすると動き、ほうきがひょこひょこ歩き出す(テグスが丸見えだ)。あの時期に、バカバカしくもある行為がひそかに進められていたと思うと、息苦しかった日々が少し軽やかになる。
「untitled」(21年)は羽田空港近くのトンネルで撮影した作品。壁に肩をこすりつけながら歩く男性。壁に蓄積した排ガスのすすが、白いTシャツに模様をつくっていく。
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チューブのイメージが、あちこちに点在する。「東京の通り」の鉄パイプ、2階から3階に続く吹き抜け。そして、4階の映像インスタレーション「under city24年版」。メインのスクリーンでは、都市の地下空間に広がるトンネル(調節池など)を、探検家のようにスケーターたちが進んで行く。地下空間を3Dスキャンした画像や、排気・排水孔の小さな穴をファイバースコープカメラで撮った映像も差し込まれる。内視鏡カメラで消化器官を写したようにも見え、広大な地下の世界と人の内臓のイメージが交差する。内と外がくるくる入れ替わるような、そんな感覚にも陥る。身体を拡張すれば街になり、街はまた身体になるのだ。
外に出れば、バケツが一つ。底に穴が開いていて、のぞき込めば鉄パイプのつらなりが見える。街に張り巡らされた網目に気づけば、殺伐としたコンクリートの街も遊び場になる。
「SIDE CORE展-コンクリート・プラネット」は、12月8日まで。


2024年10月28日 毎日新聞・東京夕刊 掲載