◇学芸員の負担深刻化や収蔵スペース難、全国でも
大阪府が所蔵する美術作品がブルーシートをかけられ、地下駐車場に置かれていたという前代未聞の事態が発覚してから約1年。7月、府が設置した専門家チームによる最終報告が公表された。作品の安定的な保管場所を確保すること、府にコレクションを管理する体制を作ること--。パブリックコレクションを有する自治体なら当然の責任を指摘し、府のこれまでの不作為を改めて浮き彫りにした。ただコレクションを取り巻く状況の悪化は、府に限った話ではない。チームの座長を務めた山梨俊夫・全国美術館会議事務局長は「作品を守るのに最低限必要な修復費も付かない館が多く、慢性的な人手不足で学芸員は過大な負担を抱えている」と話す。
問題の発端は大阪府が美術館構想を立ち上げた1980年代にさかのぼる。現代美術の殿堂、パリ・ポンピドーセンターの大阪版を造ると意気込んだ計画にあわせ、府は10億円近くを投じて、絵画、彫刻、版画など約7900点の作品を収集した。しかし、バブル崩壊で財政状況は悪化。計画は撤回され、以来、彫刻など大型作品は民間の倉庫から庁舎内の空き室へ、さらには地下駐車場へと保管場所を転々と移されてきた。
昨年7月の事態発覚後、吉村洋文知事は作品を当座の保管場所へ移すよう指示する一方で、「ハコモノを造るという判断はしない」と表明。最終報告でも、地下に置かれていた105点の大型作品については「安定して保管できる場所を確保する」よう求めるにとどまり、具体策は依然、見えていない。
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専門家チームは昨年8月に発足し、105点を含むコレクションの活用や保全の方策を協議してきた。山梨さんは議論が始まってまず、知事の言う「ハコモノ」が何を意味するのか、府に尋ねたという。作品を保管する「倉庫」は、どうしても必要だと考えたからだ。
「新しい美術館や、厳しい温湿度管理を24時間徹底するような収蔵庫といった『ハコモノ』はなくてもいいが、金属や石など一定の耐久性を持つ作品が管理できる倉庫は要る。そこに学芸員を常駐させ、必要に応じて作品を公開すればいい」。府には繰り返しそう伝えたといい、「最低限の機能を備えた倉庫を造るのにたいしたお金はかからないし、それさえ造らないのであれば、問題の解決に向けた前進は望めない」と指摘する。
もう1点強く求めたのは、学芸員を正職員として採用することだ。府は美術館計画時に採用した学芸員が2020年度に退職して以降、美術専門の学芸員を置かず、コレクション管理は関連施設の指定管理者に任せてきた。
最終報告は学芸員配置の必要性を指摘。府は来年度、実際に文化課内に配置する方向で検討を進めているが、山梨さんは「有期の非常勤職員ではすぐに限界がくる」と、その雇用形態も配慮すべきだと訴える。行政職員は通常、数年で異動する。「それとは別にずっと代わらない学芸員を置き、その人が中心にならなければ、中長期的に作品を守り活用することはできない」
専門家チームの助言を受け、府は今年度、約3000万円の修復予算を計上した。駐車場に置かれた作品だけでなく、公園や駅など公共空間に長年展示されたままだった作品も、劣化が進んでいたのだ。山梨さんは、国立館でも修復費が7館で約6300万円(23年度)程度しかない現状を考えれば、「大きな一歩だと思う」と評価する。ただ修復費は継続的に必要で、今後の府の対応に委ねられることになる。
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作品を守る人と場所。劣化に応じた修復費。パブリックコレクションに当然必要な条件は今や全国で危機に陥っている。
まず、人。学芸員は社会が求める美術館像が多様化する中、仕事量が過去とは比べものにならないという。山梨さんは77年、神奈川県立近代美術館の学芸員に着任。当時は「教育普及は片手間にやるぐらいだったし、展覧会の図録も今よりはずっと薄かった」と振り返る。
教育普及は現在、美術館の重要な任務の一つ。増える収蔵品を適切に守る「レジストラー」や、作品の修復を担う「コンサバター」、作家が残した資料や館の活動記録を担当する「アーキビスト」。本来ならそれぞれ専任を置くのが望ましいが、学芸員が研究や展示業務と掛け持ちしている館がほとんどだ。正職員の定員は施設の規模が変わらない限り増えないため非常勤の学芸員を雇う館も多いが、「学芸員に必要な経験の蓄積が保証されない」と山梨さんは言う。
収蔵スペースも無限ではない。大阪府の専門家チームでは、デジタル資料を残せば現物は処分してもいいのではないか、との意見も出た。山梨さんは即座に否定したが、「問題提起としては重要だった」とも。信頼性の高い公立館には寄贈や寄託の申し出が絶えず、収蔵品は増え続けている。「作品はどれも大事だが、無尽蔵には収蔵できない」。山梨さんは交流のある作家に相談を受けると、大事な作品をごくごく絞って寄贈するよう伝えているという。
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最終報告は、コレクションを日常的に利用者が多い施設に展示するなどの「活用」策も検討すべきだ、と指摘した。大阪に限らず、美術館はコレクションの活用率が注目され、多くが「死蔵」状態にあった場合は批判されがちだ。ただ山梨さんは「必ずしも死蔵が悪いわけではない」と解説する。
例えば有名作家の作品だが、作家の良い時代の作とはいえないもの。「『活用』はされにくいが、歴史資料としては重要だ。そうした作品があるからこそ、学芸員は調査研究ができる」。美術館の機能の中で、一番大切なのは学芸員による調査研究。山梨さんはそう考えている。「作品や作家と付き合いながら、美術が実際に動いていることを見て、方法論から作っていく。美術館という現場でやる調査研究は、大学での研究とも違う。良い展覧会をするにも、作品を管理するにも、すべての基本に調査研究がある」
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■人物略歴
◇山梨俊夫(やまなし・としお)氏
1948年生まれ。神奈川県立近代美術館と国立国際美術館で館長。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題では、愛知県の検証委員会で座長を務めた。専門は日仏の近現代美術。『風景画考』で芸術選奨文部科学大臣賞。
2024年09月15日 毎日新聞・東京朝刊 掲載