生々しい重みに満ちた「触」のシリーズ。黒鉛を手につけてキャンバスにこすりつけて描いている。黄や緑の色の上で、うごめく形は、煙のようにも塊のようにも見える。吉田克朗のおよそ30年の創作活動のうち、最後の約15年を費やしたこの絵に、いかにたどりついたのか。
吉田は1943年、埼玉県深谷市生まれ。多摩美術大卒業後、関根伸夫、菅木志雄らと共同アトリエで制作し、関根の記念碑的「位相-大地」の制作現場にも加わった「もの派」の中核的存在と言われる。しかし99年に55歳で死去。今回、初めて創作の全貌を紹介する回顧展が実現した。
第1章では、「もの派」らしい作品が並ぶ。木と石をロープでくくりつけた「Cut−off(Hang)」(69年)や紙の四隅に石を置いた「Cut−off(Paper Weight)」(同)などをこの場で実見できるのは、作品を管理するエステートの協力を得て、本展のために再制作されたからだ。
ここから、80年代後半の「触」に至るまでの試みがおもしろい。先の立体作品と同時期にシルクスクリーンの作品を制作し、平面へと舞台を移していく。とはいえ、単純に平面とは言いきれない。例えば、「Work〝D-197〟」(77年)では三脚に絵の具を塗って紙に押し当て転写し、その横に手で三脚を描いているように、関心はものとものが接触した際生じるできごとにあったのだろう。そのなかで移す/写すという行為に問題意識を広げていく様子が分かる。
80年代前半には風景や人物のイメージを大胆に抽象化した「かげろう」シリーズを手がけ、「触」へと展開する。
本展では、没後に見つかったという制作ノートも展示。作品プランや思考の痕跡が詳細につづられている。
吉田展の後には、同じく55歳の若さで亡くなった、吉田と同世代の木下佳通代(39~94年)の回顧展が続く。それぞれ、作品や資料の保存管理、研究者による調査がなければ実現しない展覧会だ。埼玉県立近代美術館で、23日まで。
2024年9月9日 毎日新聞・東京夕刊 掲載