日本画家・小泉淳作(1924~2012年)の生誕100年を記念した展覧会が、小泉が天井画「双龍図」を描いた京都・建仁寺で開かれている。西洋画を思わせる初期作品、中国絵画との出会いを経てたどり着いた独自の風景画や蔬果(そか)図、そして最晩年に描き上げた奈良・東大寺の襖絵(ふすまえ)。対象と徹底して向き合い、足しては引いてを繰り返した作品は、積み重なった時間の厚みをまとって確かな存在感を放つ。
小泉が好んで描いたモチーフの一つに冬瓜(とうがん)がある。といっても緑のつやつやしたものではない。例えば87年の作品。表面はまだらに黒ずんだり白っぽかったり、つると葉はしおれて生気がない。暗い背景と相まって、化石のような気配すら感じる。現に小泉は冬瓜の面白さを「1万年も2万年もそこに生きているような顔をしている」ことに見ていたという。
冬瓜をはじめ長持ちする野菜と数カ月アトリエで向き合い、日々の変化を観察しながら1枚の作品にした。本展を監修した泉屋博古館東京の野地耕一郎館長は「ただの写実ではなく、時間の堆積(たいせき)を一つの画面に入れ込んでいる」と話す。
神奈川県鎌倉市に生まれ、戦争を挟んで東京美術学校(現東京芸術大)を卒業。ルオーらの影響を感じさせる画風は、唐・宋時代の水墨画との出会いを経て、独自の山水画へと展開した。脚光を浴びたのは50代に入ってから。蔬果図を描いたのは60代以降で、70代で鎌倉・建長寺と建仁寺の天井画を手がけ、亡くなる2年前には40面の襖絵を東大寺に奉納した。
生前の小泉は「絵描きというより文人という感じだった」と野地さん。初期から一貫して、塗った絵の具を削ったり洗ったりしてまた塗り重ねていくという手法を用いた。「納得いくまで対象と向き合い語り合って、人間のさまざまな心の動きを投影した。どれもただ美しいだけじゃなく、描かれたもの自体が何かを考えているような絵だと思う」。「小泉淳作展 生誕一〇〇年記念」は23日まで。来夏、東京・日本橋高島屋SC本館8階ホールへ巡回する。
2024年9月2日 毎日新聞・東京夕刊 掲載