19世紀は「グローバル化」時代だった。明治の日本でも横浜開港を機に大勢の外国人が来日した。旅行者の中には女性も少なくなかった。本コレクションの画家たちの中にも、旅行家として活躍しながら水彩画家としても優れ、日本では富士山登頂を果たしたイギリス人のコンスタンス・フレデリカ・ゴードン=カミング、凌雲閣(浅草十二階)基本設計者として知られる上下水道技師ウィリアム・バートンの妹の、イギリス人水彩画家メアリー・ローズ・ヒル・バートン、日本在住の版画家として活躍したアメリカ人「浮世絵師」のヘレン・ハイドなどがいる。
中でもユニークな存在がエラ・デュ・ケイン(1874-1943)である。英国人だが、タスマニアの生まれ。これはエラが生まれたとき父サー・チャールズ・デュ・ケインがタスマニア州総督だったからであり、その後まもなく英国のエセックスへ帰郷した。1889年に父が亡くなってからは、姉フローレンスと一緒に世界を旅行し、花や庭を見てまわった。日本にも訪れ、清水寺や北野天満宮、知恩院、長岡天満宮など京都を中心に、東京の佐竹邸や亀戸天神、堀切菖蒲園、さらに奈良の春日公園や日光の中禅寺、陸前の松島など各地で四季折々の多彩な花を愛でた。
そのときデュ・ケイン姉妹が得た知見や感想などについては、姉妹の共著『日本の花と庭』(1908年発行)で読むことができる。姉が文筆、妹が水彩画に秀でていたため、姉妹で文と絵を分担して紀行文を合作していたのである。ここに取り上げる水彩画《庭園の喫茶》も、同書に図版として掲載されている。その出版に先立つ1904年には日本の風景を描いた水彩画展も開催していた。英国と同様に造園や花の栽培が盛んだった当時の日本の、花に満ち溢れた自然と庭園の美を、エラとフローレンスの姉妹は好ましく思ったに違いない。
展覧会は横浜髙島屋(横浜市西区南幸1丁目)で開催中。8月19日(月)まで。
2024年8月9日