明治期の美術界では水彩画の名人たちが多く活躍したが、中でも特異な存在がこの笠木治郎吉(1870-1923)である。農村や漁村に生きる老若男女の生き生きとした様子を緻密な筆致で描き出した画家であり、その生命力に満ちたイメージはあまりにも強烈。驚くべき表現力を持つ画家である。
ところが、それほどの実力派である笠木について、わかっていることは少ない。横浜で活躍した人だが、金沢生まれとも伝えられ、その後、横浜に移って洋画(油彩画・水彩画)を学んだ。最初の師は横浜に住んだ山村柳祥だったらしい。柳祥は歌川国芳の一門に連なる浮世絵師だが、国芳門下の洋画家、五姓田芳柳に学んで洋画を描いていた。そうした縁もあって笠木は、芳柳の次男で優れた洋画家となっていた五姓田義松を慕い、その高い画技を学んだと考えられている。1890年頃には輸出用の刺繍の下絵を描いていた矢田一嘯とともに渡米したのち、欧州にも渡ったらしい。渡航中には、画家として仕事をしながら本場の洋画を存分に学んだのかもしれない。そんな笠木の帰国後の舞台は、やはり横浜だった。数多い外国人旅行者たちが行き交い、滞在し、居住した町で日本の風俗を描いて、土産物として喜ばれたのである。人物画でも風景画でも、水彩でありながら油彩を思わせる濃厚な彩色を実現し、対象を細部まで緻密に描き込んでみせる表現力は、明治の美術界全体でも屈指の高みに達しているといってよい。
笠木の力量をよく表している作品がこの《漁家の休憩》である。漁村の浜辺で赤子を抱き上げる女性と、ふたりの男性が談笑している。夫婦ふたりの子ども自慢に、友人が目を細めているのだろう。広大な海を背景にした安定感ある構図も堂々として見事だが、男女の肉体の、まるで彫刻のような立体感の表現も素晴らしい。遠くに小さく見える男性ふたりの裸体表現も含め、西洋の古典絵画のような重厚な美しさがある。
展覧会は横浜髙島屋(横浜市西区南幸1丁目)で開催中。8月19日(月)まで。
2024年8月9日