英の現代美術誌が選んだ、アート界で最も影響力のある100組「パワー100」(2023年)で7位に入るなど注目の現代美術作家、シアスター・ゲイツさん。その日本初となる大規模個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が東京・六本木の森美術館で開かれている。「アフロ民藝」はゲイツさんがつくり出した言葉で、米国の公民権運動のスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」と、日本の民芸運動の哲学を掛け合わせた独自の美学だ。
ゲイツさんは1973年、米シカゴ生まれ。彫刻と陶芸作品を中心に、建築、音楽、パフォーマンス、デザインなど、ジャンルを横断する多彩な活動で知られている。
展示スペースは大きく五つに分かれている。最初の展示室は「神聖な空間」と題された。広々とした空間に展示されるのはゲイツさんの作品と、彼が尊敬する作り手や影響を受けてきたアーティストらの作品だ。
床に敷き詰められたレンガは愛知県常滑市で作られた。陶芸を学ぶため、04年の初来日の際に訪れた場所であり、日本文化の影響を受けてきたゲイツさんにとって特別な地である。「散歩道」(24年)とタイトルが付けられたこの作品には、レンガなどの産業陶器を生産してきた同市と、かつて米国でレンガ職人の多くが黒人を含む有色人種の労働者だったという二つの歴史が重ねられている。
正面の壁にかかる「アーモリー・クロス#2」(22年)は、ベトナム戦争で徴兵された黒人の若者たちの出陣式が行われた場所の床をはがして作られた。奥にはハモンドオルガンと7個のスピーカーで構成されたインスタレーション「ヘブンリー・コード」(22年)。高価なパイプオルガンの代わりに、黒人教会に広く普及したハモンドオルガンは、黒人文化の象徴でもある。
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ゲイツさんは約15年にわたって、黒人の文化的空間や関連する品々を集め、保存し、管理してきた。それはゲイツさんにとって「重要な表現手法のひとつ」なのだという。
ゲイツさんは現在も、決して治安が良いとは言えないシカゴのサウスサイド地区に拠点を置き、制作スタジオ周辺にある、住む人がいなくなった家や放置されたままの建物などを買い取って改装するプロジェクトも行っている。
その代表例のひとつに「ストーニー・アイランド・アーツ・バンク」(15年)がある。閉鎖後、長い間放置されていた元銀行の建物を、13年にシカゴ市から1㌦で買い取り、市民に開放された文化施設によみがえらせた。改修資金は、建物に使われていた大理石からブロック100個を切り出し、「アートを我々は信じる」と刻印し、アートフェアで売って調達した。
この施設には黒人の歴史に関する重要な書籍を集めたライブラリーがあり、本展ではそれを再現している。天井まで届きそうな書架には、約2000冊の書籍が整然と収められている。その中心は20世紀後半、黒人社会に大きな影響を与えた雑誌を発行していたシカゴの出版社のもの。19年の廃業時に、ゲイツさんが買い取りアーカイブ化した。「ブラック・ライブラリー&ブラック・スペース」でそれらは「作品」に昇華し、その歴史を語り継いでいる。
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最終章は「アフロ民藝」。展示室に足を踏み入れると、まず「小出芳弘コレクション」(1941~2022年)に圧倒される。常滑市の陶芸家、小出氏が残した約2万点の作品だ。展覧会終了後、梱包(こんぽう)されてシカゴへと送られ、陶芸の研究のために活用される予定という。「常滑が私に大きな影響を与えたように、他の人々にも常滑の豊かな陶芸という遺産を知ってもらいたい」とゲイツさん。
本展を締めくくるのは、ノリのいいハウスミュージックが流れるディスコバーのような空間だ。バーカウンターの後ろの棚に1000本の信楽焼の〝貧乏徳利〟が並べられた「みんなで酒を飲もう」(24年)。貧乏徳利は、家庭で飲まれた後、酒屋に戻され再び酒を詰められる。昔ながらの技術に感動したゲイツさんの、酒の歴史と貧乏徳利へのオマージュである。
ミラーボールのように輝きを放ちながら回る氷山形の「ハウスバーグ」(18/24年)は、シカゴのハウスミュージックの歴史を映し出すとともに、環境保全や気候変動、氷河のゆるやかな消失について思索を促す。ゲイツさんは「この展覧会は世界中のものづくりとその職人たちをたたえるもの」と話した。その思いは、しっかりと見る人の胸に届くだろう。9月1日まで。
2024年8月5日 毎日新聞・東京夕刊 掲載