
楽器やトランプで構成された1枚の静物画。よく見ると、モチーフの輪郭をなぞるように四つの文字が描かれている。LOST--。戦後の関西美術界をリードした泉茂(1922~95年)の初期作「机上」(52年)に隠されているのは、伸びやかな線や鮮やかな色彩が与える印象とは対照的な言葉だ。抑圧された戦争体験を経て、戦後、ユーモアと哀愁に彩られた表現を開花させた画家の軌跡をたどる「泉茂 1950s 陽(ひ)はまた昇る」が市立伊丹ミュージアム(兵庫県)で開かれている。
大阪市に生まれた泉は、大阪市立工芸学校(当時)を卒業後、画家を志すも、戦争の影響で美術学校への進学を断念。従軍を経て戦後、働きながら制作を始めたが、既存の画壇に疑問を抱くようになり、51年、大阪で結成された、自由で主体的な創作を掲げる「デモクラート美術家協会」に参加。前衛美術家としてのスタートを切った。
美術と社会の関わりという観点から、協会では多くのメンバーが、油彩画よりも安く提供できる版画を手がけた。泉も53年から銅版画を制作。繊細な線描で時計や楽器といったモチーフを風景に配したり、モチーフを擬人化したりした幻想的なイメージを生み出してゆく。
戦時中、詩人の言葉に救われたという泉は、詩人との共作も発表。大阪の工業地帯をテーマにした小野十三郎の詩集『大阪』(39年)をベースにした詩画集では、混沌(こんとん)とした時代をたくましく生きる人間の姿を象徴的に表現した。

後年、戦争が自らの青春時代に落とした影について振り返った泉。50年代の作品は人間の生を肯定的に表現しながらも、そのユーモアはほろ苦く、哀切に満ちている。
「机上」は没後の展覧会を機に遺族から同館に寄贈された。「これまで重要視されてこなかった作品だが、50年代を通じて描き続けたモチーフが全部そろっている」と鈴木寛和学芸員。一度画廊に出した際も価格をかなり高く設定していたといい、「思い入れの強い作品だったのではないか」と話す。ほぼ10年周期で新たな表現を切り開いていった泉の、各時代の作品も展示。28日まで。
2024年7月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載