「空間の鳥」1926年(82年鋳造)、横浜美術館=アーティゾン美術館提供

 ロダン以後の彫刻の新たな表現を切り開き、20世紀彫刻の先駆者と言われるコンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957年)。その創作活動を包括的に紹介する展覧会「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」が、東京都中央区のアーティゾン美術館で開かれている。初期から20年代以降の彫刻23点を中心に、作家自身の手による絵画や写真など合わせて約90点の作品で多面的にその魅力に迫る、日本の美術館では初の機会だ。

ブランクーシのアトリエをイメージした展示室=アーティゾン美術館で、小松やしほ撮影

 ルーマニアに生まれたブランクーシは、ブカレスト国立美術学校で学んだのち、04年にパリに出て、翌年からパリの国立美術学校で学んだ。その後、ロダンのアトリエで下彫り工として働き始めるも「大樹の下では何も育たない」とわずか2カ月ほどで離れ、独自の創作に取り組んだ。

 彫刻家としてのブランクーシを語る上で、ロダンから離れたこの「1907年」は、表現の大きな転換を迎えた奇跡の年だと、担当学芸員の島本英明さんは語る。それがよく分かるのが、最初の展示室で出合う「苦しみ」(07年)と、少し進んだ先の「接吻(せっぷん)」(07~10年)だ。

「苦しみ」1907年、アート・インスティテュート・オブ・シカゴ Photo image:Art Resource, NY=アーティゾン美術館提供

 「苦しみ」は、直彫りに向かう前の、粘土による塑造で制作されブロンズに鋳造された作品。頭部を右に傾け、苦しみに身をよじらせる子どもの姿を動感豊かに伝えている。表面は、目鼻立ちが半ば埋もれてその表情が把握しづらいほどに、滑らかに仕上げられている。ブロンズの赤茶色の仕上げは、同時代にロダンとともにパリで影響力を持っていた彫刻家、メダルド・ロッソの作品に通じる。

「接吻」07-10年、石橋財団アーティゾン美術館=アーティゾン美術館提供

 「接吻」は、石の直彫りで制作した最初の作品のひとつ。展示作品は07年に作られた石の作品をもとに石膏(せっこう)で作られた。互いに腕を回し抱き合う男女の固い結合が、一つの石塊を生かしたフォルムでシンプルに表現されている。

■   ■

 ブランクーシは同じ主題に対し、フォルムやサイズ、あるいは材質を変え取り組んだ。「卵形の頭部」を題材にフォルムの研究を重ねていたことを最も象徴的に示しているのが「眠れるミューズ」のシリーズだ。09年から10年にまず大理石で制作、その後、石膏やブロンズに材質を変えたり、彩色したりするなど複数制作している。

「眠れるミューズⅡ」23年(2010年鋳造)、個人蔵 ©Studio Sébert – photographes=アーティゾン美術館提供

 本展では、石膏バージョンの「眠れるミューズ」と磨かれたブロンズバーションの「眠れるミューズⅡ」を見ることができる。どちらも首から下はなく、卵形の頭部のみが右側を下にころんと横たわっている。額からすっと通った鼻筋は端正な容貌を思わせるが、その目はほとんど埋もれている。作品の仕上げに徹底したこだわりを持っていたというブランクーシ。「眠れるミューズⅡ」では、頭頂部と顔面の「仕上げ」の違いが分かりやすい。

 鳥もブランクーシが初期から探求を重ねた主題だ。その作品は次第にフォルムを簡略化させ、垂直性を強調していった。「空間の鳥」(26年、82年鋳造)は後期の代表作だ。上に向かって鮮やかに弧を描いたフォルムは、もはや鳥の姿形ではなく、ブランクーシがその造形美に魅了されたという飛行機のプロペラのよう。地上から空へと飛び立つ飛翔(ひしょう)そのものに形を与えた。島本さんは「無限の天空を志向する動きでもあり、ブランクーシの世界観を示している」と話す。

■   ■

 本展ではブランクーシ自身が撮影した写真も多く展示されている。ブランクーシはコレクターに見せるためだけでなく、自分の彫刻を再検討するために写真を撮っていた。ブランクーシが自分の作品をどんな視点で捉えていたのか〝ファインダー越しの彫刻〟を見ることができる。

 彫刻作品はゆったりと配置され、360度どの角度からも鑑賞できる。作品タイトルや解説が一切ないのも本展の特徴だ。「彫刻を見るというのは、周りの空間を伴っての見え方だと思います。作品だけをきれいに見てもらうため、視覚的に障りになるような文字情報を介在させたくなかった」と島本さん。

 余分な情報をそぎ落とした白壁の静謐(せいひつ)な空間で、彫刻の〝本質〟にしっかりと向き合うことができる。7月7日まで。

2024年6月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする