1923年9月1日に発生した関東大震災から間もなく100年。おりしも東京国立近代美術館では所蔵作品展(9月10日まで)で「関東大震災から100年」が特集展示されている。相次ぐ災害を経験した私たちは、関東大震災を経て生まれた表現をどう捉えるのか。展示を通して考えるプログラム「模写と対話で考える関東大震災」を取材した。
プログラムは、展示作品をアーティストの瀬尾夏美さん、同美術館研究員の横山由季子さんと共に鑑賞し、模写をしたうえで、語り合うというもの。瀬尾さんは、東京芸術大の大学院生のときに東日本大震災を経験。約10年間東北に拠点を移し、人々の語りと風景の変遷に着目して制作してきた作家だ。
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横山さんが展示室で語りかけた。「関東大震災当日、上野公園の竹之台陳列館で再興院展と二科展が初日を迎え、出品作家や美術界の関係者が集まっていました。公園は少し高台になっているので、揺れはしましたが火災は免れ、作品はほとんど無事でした。ただ、彫刻作品は展示台から滑り落ちて壊れ、絵画は額がゆがんだそうです」
特集では、これらの展覧会に出品していた作品を展示。被害の様子を描いた十亀(そがめ)広太郎の水彩画、震災復興やその後の社会のひずみを描いたプロレタリア美術なども並ぶ。
話を聞いた後は、作品を選んで鉛筆で模写していく。完成すると、展示室の外に移動。描いた絵をガラス窓に張り付ければ、小さな展覧会の始まりだ。ある女性は藤牧義夫の木版画「都会風景」(33年)を選んだ。「作者は震災のときはまだ子供だった。震災の前後で区切る感覚はあまりなく、(復興した都市の風景を見ても)今はこういう発達したものがあるな、という感じだったと思う」と着目したわけを説明した。
これを受けて、瀬尾さんは「今まで東日本大震災の語りは大人中心だった。でも、成長した今なら体験したことを語れる、という人たちがいる」と話し始めた。「当時は言葉にできなくても、影響を受けていることはある。例えば、岡本太郎は12歳で関東大震災に遭った。太郎の作品は戦争の文脈で語られるけど、震災経験の影響もあるかもしれない」
大学院で美術史を学んでいるという小嶋香帆さん(24)が模写したのは、福沢一郎の油彩画「メトロ工事」(29年)。ダイナミックな構図にもかかわらず、虚無感を覚えたという。「労働者の人たちは新しい街を造るために、ひたすら働くしかなかったのかな、と」。そう話すと、瀬尾さんは復興のために東北に来た労働者たちの姿を思い浮かべた。「市民と関わることもなく『とにかく労働』で、風景を変えていくむなしさもあったのかも」
橋本静水が東京の名所「堀切菖蒲(しょうぶ)園」を描いた日本画(22年)は、2人が選んだ。そのうち、福島の会津地方出身だという花見翔さん(37)は、この絵に沿岸部の浪江町の風景を重ねたという。実際にはよく知らないという浪江町の風景。だけれども、なぜか懐かしさを感じた。
「関東大震災の後、街はどんどん復興していったが、福島は必ずしもそうではない。(浪江町の景色を見たことがない自分が)回顧することはしたくないし、かといって、ここから解放されたいのかもあいまい。この情景に対して傍観しているだけの私もいる。答えが出ないまま、描きました」。花見さんはこの後、今回の体験に背中を押されて初めて浪江町に足を運んだという。
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終了後、横山さんは「参加者それぞれの背景を作品と重ね合わせて、さまざまな視点や言葉が引き出されていた」と振り返り、瀬尾さんも分断が起きがちなSNS(ネット交流サービス)と比較して、「相手を損ねるために何かを見るのではなく、ただ見て、考えを安心して共有できた」と話した。
美術館での対話は、他の対話とどう違うのか。横山さんや瀬尾さんと話しながら見えてきたのは、イメージや手を介して思考し、対話することの面白さだ。誰かの絵があり、それを模写する。関東大震災をテーマに単に語り合うだけでは生まれない、広がりがあった。時間の制約がありかなわなかったが、対話後に再び展示室に戻れば、絵を前にいっそう話が弾んだことだろう。
2023年8月28日 毎日新聞・東京夕刊 掲載