伊達氏に仕えた目黒氏が用いた「黒漆塗鉄地六十二間筋兜 附、烈勢面頬」=個人蔵、宮城県の角田市郷土資料館寄託

 中世武士の氏族で、目黒区の名称の由来になったとされる目黒氏を紹介する特別展「中世武士目黒氏の軌跡〜列島を駆け抜けた武士たち」が16日、目黒区中目黒3の区めぐろ歴史資料館で始まった。今回が初公開となる目黒氏使用の兜(かぶと)も展示しており、11月23日まで。入場無料。

 同館によると、目黒氏は元々、今の目黒区にあたる武蔵国荏原郡目黒村一帯を治めていた武士とされる。歴史書に、鎌倉幕府を開いた源頼朝が上洛する際のお供に「目黒弥五郎」の名前があり、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を討つために起こした承久の乱(1221年)で「目黒小太郎」が幕府側の武士として戦ったことも記されているという。また、1444(文安元)年に「目黒国平」が武蔵国から下総国を経て、陸奥国伊具郡島田村(現在の宮城県角田市)に移住したと記録されているという。その後、「独眼竜」で知られる伊達政宗に仕え、子孫も仙台藩士となった。

 今回は、陸奥に移り住んだ目黒氏が桃山時代に用いたとみられる兜や、今の新潟県魚沼市に住み着いた目黒氏が戦国大名の上杉景勝から拝領した盃(さかづき)、目黒氏の名前が記された数々の古文書などを展示している。

 同館研究員の前川辰徳さんは「中世武士は『一所懸命』という言葉のイメージがあるように、特定の土地に居着いていたイメージがあるかもしれないが、目黒氏は今の宮城や新潟のみならず、島根の出雲に移住した記録があることも分かってきた。そうした新しい発見の成果も紹介しています」と来館を呼びかけている。

 開館時間は午前9時半〜午後5時。月曜休館。

2021年10月17日 毎日新聞・都内版 掲載

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